【学術】下関鯨類研究室、「鯨解体ショー」情報提供をお願いします 記録ほとんどなく

1970~80年代、全国的にブームになったとされる「鯨の解体ショー」を、山口県下関市の下関鯨類研究室の石川創(はじめ)室長(58)が調査している。捕鯨を取り巻く国際情勢の変化とともにショーは姿を消し記録はほとんど残っていないという。石川さんは「近代捕鯨史や生活文化史研究にとって貴重」と情報提供を呼びかけている。【上村里花】

 ◇70~80年代、全国でブームに

 調査によると、鯨の解体ショーは70年代が最も盛んで、90年代初頭まで続いていたとみられる。日本近海で捕れるコビレゴンドウ(体長約5メートル)などの小型鯨を、専門の業者がトラックで会場まで運んで解体し、鯨肉をその場で販売するのが一般的だったという。

 調査の結果、当時は兵庫県の水産会社「海拓(かいたく)水産」と和歌山県太地(たいじ)町の「由谷(ゆたに)商店」が専業で請け負っていたことが判明。由谷商店の関係者には調査できたが、海拓水産の関係者は見つかっていない。

 70年代は商業捕鯨が盛んで、近海で捕れる小型クジラは安くあまり売れなかった。ショーは「販促活動の一つとして始まったのではないか」と石川さんは推測する。実際、ショーは山間部や都市部をはじめ各地で人気を呼んだ。近畿地方を中心に山口や福岡、熊本など24都府県の商店街、地域の祭りなどで開かれた58回のショーを確認したが「実際には1000回近く開催されていたのではないか」とみる。

 88年に大型鯨類の商業捕鯨が停止され、代替品として小型鯨類の肉が急騰してショーはなくなっていく。75年には1頭6万4000円程度だったコビレゴンドウは90年には約100万円まで高騰したという。

 石川さんは、各地のショーや海拓水産の関係者、最後となったとされる大阪の百貨店屋上でのショーなどの情報を求めている。「これだけ流行し人々の記憶に刻み込まれているイベントの記録が残されていないのはもったいない。これまで語られてこなかった捕鯨史の一側面であり、今記録しなければ歴史から消えてしまう」と訴える。情報提供は下関鯨類研究室へ

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